WELCOME TO SAGA

水と緑あふれる歴史の街、佐賀へようこそ

日本列島のほぼ西の端に位置し、朝鮮半島とは200kmあまりと、東アジアと近接していることから、大陸文化の窓口として歴史的、文化的に重要な役割を果たしてきました。
吉野ヶ里遺跡をはじめとする貴重な文化財や、伊万里・有田焼などの焼き物文化、伝統的催事等、全国に誇る多彩な地域文化が根付いており、また、佐賀平野を中心とした穀物の生産や有明海に面した地域でのノリの養殖、玄界灘に面した地域での園芸や畜産など、豊かな自然の恵みを受けた農業や水産業が盛んな土地です。

自 然

見帰りの滝(唐津市)

見帰りの滝(唐津市)

日本の滝百選にも選ばれた唐津市相知町の見帰りの滝。春は桜、夏は深緑、秋は紅葉が滝を彩りま義特に6~7月はアジサイの景勝地。40種約40,000本にものぼるアジサイが咲き乱れ、九州一といわれる豪快な滝と見事なコントラストを演出します。

七ツ釜(唐津市)

七ツ釜(唐津市)

国の天然記念物にも指定されている七ツ釜は、玄武岩が玄海灘の荒波にさらされ浸食されてできた景勝地です。断崖は深くえぐられ、名の通り7つの洞窟が並列し、自然の驚異を感じさせてくれます。満潮時には、遊覧船で見学できます。七ツ釜の上層部は草原となって展望台や遊歩道が整備され、多くの観光客で賑わっています。

虹の松原(唐津市)

虹の松原(唐津市)

唐津湾の海浜に続く虹の松原は、国の特別名勝で、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原のひとつに数えられる景勝地で或長さ約5キロメートル、幅約1キロメートルにわたり、約100万本のクロマツが群生しています。その歴史は古く、17世紀初め初代唐津藩主寺沢広高が防風・防潮のため、海岸線の砂丘にクロマツを植林したのがはじまりとされています。

筑後川昇開橋(佐賀市)

筑後川昇開橋(佐賀市)

佐賀市諸富町のシンボル・筑後川昇開橋は、九州一の大河・筑後川に架かる世界でも有数の昇降式可動鉄橋です。全長507メートル。高さ30メートルの2つの鉄塔にはさまれた中央部が23メートルの高さまでエレベーターのように上昇し、その下を大型船が自在に航行できるようになっています。昇降部が降りていない時も遊歩道は開放されており、橋の中央部まで行くことができます。

お祭り

唐津くんち(唐津市)

唐津くんち(唐津市)

唐津神社の秋季例大祭。毎年11月2~4日の3日間にわたって開催され、「エンヤエンヤ」のかけ声で曳山(やま)が通りを駆け抜ける勇壮なお祭りで曳曳山は県重要有形民俗文化財、曳山行事は重要無形民俗文化財にも指定されています。

面浮立(鹿島市)

面浮立(鹿島市)

佐賀県内では鹿島市で行われている民俗芸能「面浮立」。身体の前面に鼓を持ち、鉦(かね)や太鼓の音が響く中で踊る鬼面芸の一種で凱五穀豊穣を感謝し、雨乞いや怨霊鎮魂、悪霊退散を神に祈願する意昧があります。木目を活かしながら、精密かつ丹精込めて彫った鬼の面は、表情に趣があり、装飾用としても人気があります。

鹿島ガタリンピック(鹿島市)

鹿島ガタリンピック(鹿島市)

毎年5月下旬頃に開催される有明海干潟上のオリンピック。日本一の干満の差を利用して、どろんこになりながら、ユニークな競技を競うスポーツ(?)の祭典です。

佐賀インターナショナルバルーンフエスタ(佐賀市)

佐賀インターナショナルバルーンフエスタ(佐賀市)

毎年11月上旬、佐賀市嘉瀬川河川敷で開催される日本で最大規模の熱気球の国際大会。会場となる嘉瀬川河川敷を中心とした佐賀平野一帯は、熱気球の離着陸に十分なスペースと安定した気流、様々な向きの風の層があり、バルーンの国際大会には理想的な土地です。毎年100機を超える熱気球が参加して、佐賀の空を彩ります。

写真協力佐賀バルーンフェスタ組織委員会

歴 史

唐津城(唐津市)

唐津城(唐津市)

唐津市のシンボルともいえる唐津城は、慶長13(1608)年の築城。現在の姿は昭和41(1966)年に復元されたもので、5層の見事な天守閣が堂々そびえています。この天守閣を鶴の頭に見立て、左右に広がる松原は、鶴が翼を広げた形に似ていることから、別名舞鶴城ともいわれています。桜やフジで彩られる花の名所でもあります。

祐徳稲荷神社(鹿島市)

祐徳稲荷神社(鹿島市)

伏見稲荷と笠間稲荷とともに日本三大稲荷に数えられる神社。地元では「祐徳さん」の愛称で親しまれています。貞享4(1687)年創建。鹿島藩主鍋島直朝の夫人花山院萬子姫が京都から輿入れする際、京都御所内の花山院邸に鎮座する稲荷大神から分霊したものですら木々の緑に映える建物の鮮やかな朱色が印象的で、その美しさから「鎮西日光」とも呼ばれています。

鵜殿石仏群(唐津市)

鵜殿石仏群(唐津市)

鵜殿(うどの)の石仏群は、唐津市相知町鵜殿窟(うどのいわや)と称される断層岩壁に彫刻された磨崖仏(まがいぶつ)群。もともとは大きな洞窟であり、かつてはその中に平等寺が建立されていたそうです。お寺は焼失し、今では石壁だけとなりました。文禄3(1594)年に著された「鵜殿山平等院略縁起」によると、この石仏は空海が「漢土の霊窟にも劣るまじき法地なり」と彫刻したことがはじまりとされています。唐からの帰途ここに立ち寄り、弥陀、釈迦、観音の3体を彫ったとのことです。残念ながらこの3体は現存せずその真偽はわかりませんが、ここが真言密教の信仰の場であったことは間違いないようです。

吉野ケ里歴史公園(神埼市、吉野ケ里町)

吉野ケ里歴史公園(神埼市、吉野ケ里町)

推定延長2.5キロメートルの壕に囲まれた全国一の規模を持つ弥生時代の環濠集落跡です。多数の住居跡、高床倉庫群跡、3,000基を超えるかめ棺墓、弥生時代中期の王族の墓である墳丘墓などが発掘されていま曳物見やぐら、竪穴住居が復元され、弥生時代を体感できます。